男性の家を訪れたのは、旧統一教会の勅使河原さんですが、「あのテッシーだ!」と気づいた方も多いのではないでしょうか。
約30年ほど前の旧統一教会の合同結婚式にて、とある女性といっしょに写っている写真は40代以上の方の記憶に残っているはずです。
勅使河原さんの婚約相手は有名な体操選手の山崎ひろ子さんでした。
結局、使河原さんは山崎ひろ子と婚約破棄となってしまったのです!
なぜか彼女から婚約を解消されてしまい結婚することはできなかったのです。
破談となったのにはどのような理由があったのでしょうか?
その婚約解消に至った勅使河原さんの会見の様子が、連日テレビで取り上げられました。
悲劇の主人公であるはずなのに、どこかこっけいなタッチで取り上げられたのです。
30年前の話なので若い方が「勅使河原さんてどんな人?」と思うのも無理はありません。
ここでは、統一教会の勅使河原はどんな人なのか、また、元妻山崎ひろ子との離婚の原因について詳しく解説していきます。
旧統一教会の勅使河原はどんな人?
合同結婚式では教会が勝手にきめた相手とペアになり、何百組ものカップルが一堂に会し、みんなで結婚を祝うという信じられないような光景がくり広げられていました。
ただでさえ、聞いたこともない合同結婚式に参加し、有名な女性婚約者とカップルになれたのに、なぜか婚約解消されてしまい結婚できなかった。
こんな謎めいた興味をそそるストーリーにマスコミが飛びつかない訳がありません。
そんな勅使河原さんが30年後にふたたびテレビに現われたのですから大変です。
本来、旧統一教会の問題はもっとシリアスな内容であるはずのに、なぜか別の視点で会見を見てしまうのは不謹慎なのでしょうか?
肩書は旧統一教会の改革推進本部長
会見で旧統一教会サイドの正当性を訴える勅使河原さんは、教会改革推進部長という肩書をもつ偉い人なのです。
勅使河原さんは約30年前旧統一教会合同結婚式での一件で世間の脚光を浴びました。
その後長い空白の時間を経て、旧統一教会の顔として突然会見場に現れたのです。
今回、元妻の多額な献金問題が原因で家庭が崩壊したとして男性が教会側を訴えました。
その対応にあたったのが教会側の責任者である教会改革推進部長の勅使河原さんでした。
この会見を受け勅使河原さんは男性本人から話を聞くべきと「1対1で会いたい」と電話で申し出たのですが、電話口で断られたようです。
断られたのに、アポなしで突然訪問したことが返って逆効果だったのです。
ヌケヌケと訪問できたのは「メンタルの強さ」か「洗脳された考え方のため」なのか。
一般人にはとても伺い知れない行動であり感性が追いついていけません。
また、男性の自宅を訪問したときの状況を伝えるためのこのような表現を使ったとか。
「倉庫のようなところにお住まいでした」とか「訪問したことを非常に怒られた」と、会見でニヤニヤうすら笑いを浮かべながら説明したのです。
訪問すること自体が男性の心情を逆なでしてしまうと想像すらできないのでしょうか?
この会見を見いていた多くの視聴者の反応は、怒り8割、あきらめ2割といったもの。
改革推進本部長として、単に旧統一教会の風評を抑えるための行動だったのか。
それとも、まさしく旧統一教会に洗脳された考え方に染まった行動だったのか。
このような行動や考え方のズレが、やがて考え方の違いに現われそれぞれの主張が平行線をたどる大きな要因となるのでしょう。
子供のころの生い立ちは普通なのにとても頑固者だった
勅使河原さんは愛知県生まれで、3人兄弟の長男としてごく普通の家庭に育ちました。
小学生のころはとてもやんちゃな子供で、よくケンカもしていたようです。
中学生から始めた剣道にのめり込み、高校では副将となって皆を引っ張り地区大会で団体準優勝をおさめるほど打ち込んでいました。
スポーツマンではあったのですが、一方で音楽も好きだったようでユーミンやオフコースのコンサートにもよく行っていたようです。
成績は常にトップクラスではあったのに、女の子にもてるようなタイプではなく、優等生によくありがちな野暮ったい学生だったのでしょうか。
また理屈っぽいところもあって、自分の考えは決して曲げない頑固者でもあったようです。
やがて24時間教会に身を捧げることとなる
勅使河原さんは、猛勉強のかいあって一浪して京都大学へ合格しました。
やがてくる世界の食糧危機にそなえ、人口増加問題などを勉強するため農学部農林経済学科を選び、将来は国連で働くことを希望していたのです。
大学3年生から大学の原理研究会に入会したことがキッカケで、原理運動に熱中することとなり、だんだん授業には出なくなってしまった。
勅使河原さん本来の理想主義的なところが、統一教会に入信する素地になったのでしょう。
そのため4年生になっても卒業できず留年してしまうのです。
更に原理運動に熱中することとなり筋金入りの原理研究会メンバーに育っていったのです。
大学卒業後の進路は教会職員になって「24時間教会に身を捧げたい」と考えていた。
これには両親からの猛反対を受け、ある条件付きで一般企業に就職することになる。
その条件は「普通の会社に就職して3年経ってもまだ原理をやりたい」と思えるなら認めるというもので、大和証券へ就職することとなった。
仕事は一生懸命やったので、全国の新人の中で売上はトップ・クラスの成績だったらしく、会社から何度も表彰されていたという。
東京本社に栄転になっても、給料のうち小遣い以外はほとんど献金していて、ボーナスなどそっくり全部献金したようで、貯金は全然なかったそうです。
就職して3年たっても原理をやりたいという気持ちには変わりはなかった。
両親もこれを認めたので、会社を辞め「24時間教会に身を捧げる」こととなりました。
勅使河原と山崎ひろ子は旧統一教会の客寄せパンダ?
旧統一教会でまき起こる様々なトラブルの火消しに躍起となり、会見での注目を集めようと協会側は勅使河原さんを起用するようになったと言われています。
そのような理由からか、突然会見の場に勅使河原氏が、「教会改革推進本部本部長」として記者会見に現われたので、多くの人が驚いたのも無理はありません。
勅使河原と元妻の山崎ひろ子はともに旧統一教会の広告塔
勅使河原さんがメディアに登場するキッカケは、30年前の旧統一教会の合同結婚式。
そのとき、山崎ひろ子さんとの婚約発表が最初の会見となりました。
「京都大学を卒業後大和証券に勤務するエリートサラリーマン」と「人気タレントの女性」との華のあるカップルなら、統一教会の広告塔にふさわしいと使われたようです。
同じく広告塔として登場した桜田淳子さんは、東さんという別の男性と結婚しています。
その後の合同結婚式を前にして、山崎ひろ子さんは突然、統一教会からの脱会と「破談」を表明したのです。
洗脳がとけたのか、それとも近親者から説得があったのか、実のところはわかりませんが、勅使河原さんはフラれる結果となってしまうのです。
その記者会見で、勅使河原さんは「彼女は改宗しない。必ず僕と結婚します!」と宣言。
この大みえを切ったことが、マスコミで大きく取り上げられ注目を集める結果となります。
合同結婚式の前ですから「破談」なのであって「離婚」ではないのです。
聞きなれない旧統一教会の「合同結婚式」と、山崎ひろ子さんとの「破談」が大きな話題となり、勅使河原さんはテレビで連日のようにもてはやされる「広告塔」となったのです。
旧統一教会での役割は今も昔も客寄せパンダ
今回、突然勅使河原さんが現れての会見を見た巷の声は以下の通りです。
「まさかこの人物が30年ぶりに登場するとは驚きだ」
「統一教会は離婚したら地獄に落ちると言われてたけど、勅使河原さん大出世したのね」
「テッシー懐かしい!嫁さんになるハズの体操選手に逃げられた悲劇の人だと思ってたら、本部長にのし上がってた」などとイジられています。
旧統一教会の中には、会見で彼を抜擢するという知恵者がいるようで、勅使河原さんは今も昔も「客寄せパンダ」の役割を期待されているのでしょう。
まとめ
今回の旧統一教会の一連の出来事を通じ、マスコミへの露出が増えるに従い、勅使河原さんはどんな人なのか、また子供のころの生い立ちはどのように生きてきたのだろう。
ここでは、統一教会の勅使河原はどんな人なのか、また、元妻山崎ひろ子との離婚の原因について詳しく解説してきました。
ポイントは以下の通りです。
- 勅使河原さんの肩書は教会改革推進部長
- 生い立ちは普通の子供だったがとても頑固者だった
- 一般企業に就職するもやがて24時間教会に身を捧げる
- 教会での役割は今も昔も広告塔や客寄せパンダ
以上、統一教会の勅使河原はどんな人なのか、また、元妻山崎ひろ子との離婚原因について詳しく解説してきました。